1. 57年 倭の奴国王が後漢より金印を授かる
当時、日本(倭)は100以上の小さな国に分かれていました。その中のひとつ、福岡県あたりにあった奴国(なこく)の王様が、中国の後漢(ごかん)に使者を送りました。
後漢の皇帝(光武帝)はこれを喜び、「金印(きんいん)」をプレゼントしました。 これは、「お前を日本の正式な王(漢の家来)として認めるぞ」という証明書のようなものです。
江戸時代に、福岡県の志賀島(しかのしま)で農民によって偶然発見され、現在は国宝になっています。
記憶定着のポイント
本当に上記のイラストのような金印でした。イラストをしっかりと見ながら、「こんな金印」という語呂合わせで57年としっかりインプットしてください。
記憶定着のためには、聞くことも効果的!Youtube動画もぜひご覧くださいね!
2. 239年 邪馬台国の卑弥呼が魏に遣いを送る
邪馬台国の女王・卑弥呼は、ライバル国・狗奴国(くなこく)との戦争に苦しんでいました。そこで、当時の中国の強国・魏(ぎ)を味方につけて有利に戦おうと考え、使いを送りました。
魏の皇帝はこれを喜び、卑弥呼に「親魏倭王」という称号と、銅鏡100枚などを与えて後ろ盾となりました。 この一連の外交や、狗奴国との争いの様子は、『魏志』倭人伝に詳しく書かれています。
記憶定着のポイント
卑弥呼は遣いに手紙つまり文(ふみ)を持たせたことでしょう。
そして、魏から良い返事が戻ってくることを期待して「文くださいね♡」と待っている。このイメージで記憶を定着させましょう。
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3. 538年 百済から仏教が伝わる
朝鮮半島の百済(くだら)の王(聖明王)が、日本の欽明(きんめい)天皇に、金銅の仏像や経典(お経)をプレゼントしました。これが日本政府に公式に仏教が伝わった最初です。
しかし、これは単なるプレゼントではありません。当時、百済は高句麗や新羅に攻められてピンチでした。そこで、「日本に素晴らしい仏教を教えるから、代わりに兵隊を貸して助けてくれ!」という、軍事同盟を結ぶための外交カードだったのです。
これを受け取った日本国内では、「外国の神様(仏)を受け入れよう」という蘇我氏(そがし)と、「いや、日本の神様が怒るから反対だ」という物部氏(もののべし)の間で、激しい対立が始まりました。
記憶定着のポイント
「ご参拝」という祈りのイメージがすぐにわくワードがそのまま年号につながっています。日本には朝鮮半島の百済の国から仏教が伝わったということも一緒にリズムよく覚えましょう。
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