MEMOREKI HISTORY ARCHIVE

【戦国・安土桃山時代】
年号 語呂合わせ まとめ

2026.01.28 受験対策

応仁の乱以後、下剋上の風潮が広まる群雄割拠の戦乱の世へ。
天下布武を掲げた信長から、秀吉、家康へとバトンはつながれ、ついに天下統一が成し遂げられました。

1543年 種子島に鉄砲が伝来

1543年、種子島(鹿児島県)に一隻の船が漂着しました。乗っていたのはポルトガル人。彼らが持っていたのは、轟音とともに標的を撃ち抜く「火縄銃(鉄砲)」でした。

領主は驚き、大金を払って2丁を購入。さらにすごいのは、島の刀鍛冶に命じて、分解・研究させ、すぐに国産化(コピー)してしまったことです。 この新兵器はあっという間に全国に広まりました。

それまでの「武士が一騎打ちで戦う」スタイルは古くなり、「足軽(歩兵)が一斉に射撃する」集団戦法へと変わりました。 この武器をいち早く大量に取り入れた織田信長が、天下統一へと駆け上がることになります。

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以後、染み(1543)わたる鉄砲

記憶定着のポイント

短期間で火縄銃をコピーして生産できるようにした刀鍛冶の技術力と商人たちの交易ネットワークによって、鉄砲は瞬く間に日本中に染みわたっていきました。戦術を大きく変えたタイミングを「以後、染み(1543)わたる」で完璧に覚えましょう。
記憶定着のためには、聞くことも効果的!Youtube動画もぜひご覧くださいね!

2. 1549年 キリスト教の伝来

鉄砲伝来から6年後の1549年、イエズス会の宣教師「フランシスコ・ザビエル」が、鹿児島に上陸しました。 彼は、「日本人は理性的で、教えを広めるのに適している」と考え、熱心に布教を行いました。

当時の戦国大名たちは、新しい宗教そのものよりも、宣教師たちが連れてくる「南蛮貿易船」に興味津々でした。

「布教を許せば、貿易で鉄砲の火薬や珍しい品物が手に入る!」
こう考えた大名(キリシタン大名)たちが保護したため、キリスト教は西日本を中心に急速に広まりました。 同時に、医療や福祉活動も行われたため、苦しい生活をしていた庶民の心も掴んでいきました。

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以後、よく(1549)来る宣教師

記憶定着のポイント

宣教師たちはキリスト教の布教だけでなく、日本と南蛮貿易を行うことも目的の一つでした。日本に一番最初に来た宣教師はフランシスコ・ザビエルと言われていますが、実際にその後、何人も宣教師はやってきています。フランシスコ・ザビエルの「以後、よく来る宣教師」と覚えましょう。
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3. 1560年 桶狭間の戦い

「京都へ行って天下に号令をかけるぞ!」 最強の大名・今川義元は、2万5000の大軍を率いて尾張(信長の領土)に侵攻しました。 対する織田信長の兵はわずか2000。

「籠城(城にこもる)しかない」という家来の反対を押し切り、信長は出撃します。
「敵は油断している。今がチャンスだ!」 豪雨が降り注ぐ中、信長は敵が休憩している桶狭間という谷底へこっそり接近。雨が止んだ瞬間に奇襲を仕掛けました。慌てふためく今川軍は大混乱。総大将の義元はその場で討ち取られました。

この勝利により、無名だった信長の名前は全国に轟き、天下統一への道がスタートしました。

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行こう!群れ(1560)なす今川を討つぞ!

記憶定着のポイント

織田信長が奇襲攻撃で今川義元を破った戦いです。豪雨の中で敵本陣の位置を把握し、一気に突撃を仕掛けるときの信長になりきって檄を飛ばしましょう。「行こう!群れなす今川を討つぞ!」これで年号もばっちりです!
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4. 1573年 室町幕府 滅亡

1568年、織田信長の力を借りて第15代将軍になった足利義昭。当初は利害関係が一致していましたが、信長が将軍の権限を制限(殿中御掟)すると両者の対立は決定的になりました。

義昭は将軍の権威を利用して、有力な大名らに呼びかけ「信長包囲網」を形成して信長を苦しめますが、要の武田信玄が病死して形勢が逆転。そして、義昭自身が挙兵したものの信長軍に敗北し京都から追放されました。

これにより、足利尊氏以来240年間続いた室町幕府は実質的に滅亡し、名実ともに信長による安土桃山時代へと移行します。

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以後、涙(1573)。追放されて室町幕府 滅亡

記憶定着のポイント

15代将軍の足利義昭が信長軍に敗北して京都から追放されてしまい室町幕府は滅亡しました。義昭は信長を利用して将軍に任命されたと考えていたかもしれません。実際には信長の方が何枚も上手で利用され、最後は追い出されてしまいます。義昭の無念を思い浮かべて、以後、涙(1573)で覚えましょう。
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5. 1575年 長篠の戦い

武田信玄の息子・武田勝頼率いる「戦国最強の騎馬軍団」が攻めてきました。 これに対し、織田・徳川連合軍は3000丁もの鉄砲を用意して迎え撃ちます。

信長が勝てた最大の理由は、戦場に張り巡らせた「馬防柵(ばぼうさく)」です。 これで馬の突撃を物理的にストップさせ、そこへ鉄砲を一斉に撃ち込みました。
かつては「3つのグループで交代して撃った(三段撃ち)」と言われていましたが、今は「とにかく大量の鉄砲で、休まず撃ちまくった(組織的な集団射撃)」と考えるのが主流です。
いずれにせよ、信長の「鉄砲を大量に集めて、システムで勝つ」という新しい戦い方の前に、武田軍は壊滅しました。

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わーん、こなご(1575)な!長篠の鉄砲隊つよつよ(涙)

記憶定着のポイント

戦国最強と謳われた武田騎馬隊の兵士の気持ちになりましょう。大量の鉄砲で仲間たちが倒れていき、装備も粉々に打ち砕かれます。泣きながら逃げるときの言葉が「わーん、こなごなー!」です。
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6. 1582年 本能寺の変

1582年、織田信長は天下統一を目前にして、京都の本能寺で休んでいました。
豊臣秀吉が攻める備中高松城の援軍に向かっていたはずの家来・明智光秀が突然、「敵は本能寺にあり!」と方向転換。早朝、1万以上の軍勢で本能寺を包囲しました。
信長の護衛はわずか数百人。「是非もなし(仕方がない)」悟った信長は、寺に火を放ち、炎の中で自害しました。

しかし、光秀の天下は長く続きません。備中高松(岡山県)から奇跡的なスピードで戻ってきた豊臣秀吉に倒され、光秀はわずか十数日で滅びました(中国大返し・三日天下)。

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行こう、ヤツ(1582)を討ちに!敵は本能寺にあり!

記憶定着のポイント

織田信長の部下だった明智光秀が裏切ります。明智光秀になりきって、自分の部下たちを鼓舞するようにセリフを言ってみましょう。口に出すことも記憶の定着に役立ちますよ!「行こう!ヤツを討ちに!敵は本能寺にあり!」
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7. 1588年 刀狩令

天下統一を進める豊臣秀吉にとって、一番怖かったのは「武器を持った農民の反乱(一揆)」でした。 そこで1588年、刀狩令を出します。

「農民は刀や鉄砲を持ってはいけない。農業に専念しろ」
しかし、無理やり奪うと反発されます。 そこで秀吉は、「集めた武器を溶かして、京都の方広寺に大仏を作る。武器を差し出せば、その功徳(ご利益)で君たちも幸せになれるぞ」と説明しました。 農民たちはこれを信じて武器を差し出しました。

この政策と、土地調査である太閤検地(たいこうけんち)がセットで行われたことで、日本は「武士」と「農民」が明確に分かれる兵農分離の社会になりました。

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以後、刃は(1588)禁止の刀狩令

記憶定着のポイント

「以後、刃は禁止」と刀狩にフィットした語呂合わせです。豊臣秀吉が農民たちから刀を回収している様子を頭に浮かべながら繰り返しインプットしましょう。
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8. 1590年 豊臣秀吉の全国統一

信長の後を継いだ秀吉は、四国・九州を次々と平定しました。最後に残ったのが、関東の北条氏です。

1590年、秀吉は20万という空前の大軍で、北条氏が立てこもる小田原城を包囲しました。 3ヶ月の籠城(ろうじょう)の末、北条氏は降伏して滅びました。 この圧倒的な力を見た伊達政宗ら東北の大名たちも、次々と秀吉に頭を下げました。

これにより、応仁の乱から約100年続いてきた群雄割拠の戦国の世はひとまず終わり、秀吉による天下統一が完成しました。
(※戦国時代の時代区分は1615年の大坂夏の陣までとする説もあるので注意)

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戦国終(1590)わり、秀吉の天下統一

記憶定着のポイント

豊臣秀吉は最後まで抵抗していた関東の北条氏を倒し、念願の天下統一を成し遂げます。日本地図のパズルに最後のピースをはめ込む嬉しそうな秀吉を思い浮かべて、「戦国終わり」と覚えましょう。
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9. 1600年 関ケ原の戦い

豊臣秀吉が亡くなると、日本は真っ二つに分かれました。「次は自分が天下を取る」という徳川家康(東軍)と、「秀吉様の息子(秀頼)を守る」という石田三成(西軍)の対立です。

1600年、全国の大名を巻き込んで、関ヶ原で激突しました。
最初は、有利な山の上に陣取っていた西軍(三成)が優勢でした。しかし、西軍の中で迷っていた小早川秀秋が、家康からの威嚇射撃(催促)に驚いて裏切り、味方であるはずの西軍に襲いかかりました。 これをきっかけに西軍は総崩れとなり、わずか半日で勝負あり。
勝った家康は、3年後に江戸幕府を開くことになります。

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ヒーロー多(1600)いぞ、関ケ原の戦い

記憶定着のポイント

東軍のヒーローとして、徳川家康、黒田長政、福島正則ら、西軍のヒーローとして、石田三成、島津義弘、小早川秀秋らが挙げられます。さまざまな逸話も残り、実際にヒーローと呼ぶに相応しい人物が大勢参加しました。
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