1. 1603年 徳川家康が征夷大将軍に任命される
関ヶ原の戦いから3年後。 徳川家康は、朝廷(天皇)から征夷大将軍に任命されました。 家康は、江戸(現在の東京)に新しい政府(江戸幕府)を開きました。
京都(朝廷)や大阪(豊臣家)から離れた江戸を拠点にすることで、誰にも邪魔されない独自の政治を行おうとしたのです。
ここから、約260年間続く平和な時代「江戸時代」がスタートします。
記憶定着のポイント
鳴かぬなら鳴くまで待とう、と謳われたように我慢して待った結果おっさんになってしまいました。
徳川家康が将軍になった1603年のこの時、すでに満60歳だったそうです。苦労を重ねてやっと天下を取った「ヒーローのおっさん」。このイケオジに思いを馳せて覚えましょう。
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2. 1615年 武家諸法度の制定
1615年、大坂夏の陣で豊臣氏が滅び、戦国時代の戦いはすべて終わりました。すると幕府はすぐに、全国の大名を京都の伏見城に集め、武家諸法度という法律を言い渡しました。
「文武を磨くこと」
「幕府に無断で城を作ったり、修理してはいけない」
「幕府に無断で結婚してはいけない」
これに違反した大名は、領地を取り上げられる(改易)などの厳しい罰を受けました。
これにより、大名たちは幕府に絶対服従せざるを得なくなりました。
記憶定着のポイント
豊臣氏が滅ぼされ、徳川家の支配が絶対的なものになりました。すぐに大名を厳しく取り締まる法律(武家諸法度)が出されました。
このとき徳川の圧倒的権力に逆らえる大名はもう誰もおらず、「異論、一個も出ず」にみんなひれ伏したことでしょう。
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3. 1635年 参勤交代の制度化
3代将軍・徳川家光は、1635年に武家諸法度を改正し、あるルールを追加しました。 それが参勤交代です。
「大名は、1年ごとに江戸と自分の領地を行ったり来たりしなさい」
「奥さんと子供は、人質としてずっと江戸に住みなさい」
これにより、大名は1年おきに大行列を組んで引っ越しをすることになりました。
往復の旅費と、江戸での生活費は莫大です。 大名たちは金欠になり、幕府に反乱を起こす力(お金と体力)を完全に奪われました。 一方で、たくさんの人が街道を行き来したおかげで、道が整備され、宿場町や文化が発展するというメリットもありました。
記憶定着のポイント
参勤交代の狙いは大名の弱体化です。江戸への移動費が莫大で、軍備を整える資金を貯めることができません。また、参勤交代を拒否して流罪となった大名もおり、逃げることもできない状況でした。
家光の計算高さが光ります。疲れ切った大名たち想像して、「すべては幕府のシナリオどおりに」と、ほくそ笑む家光を思い浮かべながら「疲労見越して参勤交代」と覚えましょう。
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4. 1637年 島原・天草一揆(島原の乱)
九州の島原・天草地方で、農民たちが一斉に蜂起しました。原因は、領主による過酷な税金と、キリスト教への弾圧です。
彼らがリーダーに選んだのは、わずか16歳の美少年・天草四郎でした。
「神の国へ行こう!」
四郎のもとに集まった3万7千人の人々は、原城という城に立てこもり、幕府の大軍相手に3ヶ月以上も粘り強く戦いました。 しかし、最後は食料が尽き、幕府軍の総攻撃を受けて全員が処刑されました(絵師以外)。
この事件にショックを受けた幕府は、「キリスト教は本当に怖い(団結して反乱を起こすから)」と確信し、この後、鎖国をさらに厳しく完成させることになります。
記憶定着のポイント
重い税と厳しいキリスト教の弾圧に苦しめられて限界を迎えていました。そこで、神童としてカリスマ的な人気のあった天草四郎を総大将に担ぎ上げて起こった反乱が島原天草の一揆です。
苦しんだ農民の気持ちになって、「疲労、皆限界。島原天草の一揆」と覚えましょう。
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5. 1639年 ポルトガル船の来航禁止(鎖国完成)
島原の乱(1637年)で懲りた幕府は、キリスト教を広めるポルトガル船の来航を完全に禁止しました。 これにより、日本に来るヨーロッパの国はオランダだけになりました。
なぜオランダは許されたのか? 「私たちはキリスト教を布教しません。ただ商売がしたいだけです。あと、海外のニュース(オランダ風説書)も教えますよ」 と幕府にアピールしたからです。
以後、貿易は長崎の出島という狭いエリアだけに限定され、幕府が厳重に管理する「鎖国」の体制が完成しました。
記憶定着のポイント
スペイン船の来航禁止したり、日本人の海外渡航や帰国を禁止など様々な策を打ってきました。そして、今回のポルトガル船の来航禁止で鎖国が完成しますが、すべてはキリスト教を広めないという一つの目的につながっています。そういったわけでキリスト教を広めないための「一路の策(1639)」という語呂合わせで年号を覚えてしまいましょう。
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6. 1685年 生類憐みの令
5代将軍・徳川綱吉は、戦国時代の「暴力的な雰囲気」を一掃したいと考えていました。
そこで、「命を大切にせよ」という生類憐みの令を出します。対象は犬だけでなく、猫、鳥、魚、虫、そして人間(捨て子や老人)まで全てです。 特に綱吉が戌(いぬ)年生まれだったため、犬は極端に保護されました。
「犬を殴ったら処刑」「犬が通る時は土下座」これには庶民も武士も大迷惑。
綱吉の死後、この法律はすぐに廃止されましたが、「捨て子禁止」など命を大事にする精神だけはその後の日本に残りました。
記憶定着のポイント
5代将軍綱吉の過度な動物愛護の法律です。特に犬に関するものが多く、綱吉は陰で犬公方と呼ばれました。
そこで日本で最も有名なワンちゃん、ハチ公が英雄として崇められている。そんな想像をしてください。ヒーロー、ハチ公で覚えてしまいましょう!
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