1853年 ペリー来航
1853年、アメリカのペリーが4隻の軍艦(黒船)を率いて、浦賀(神奈川県)に来航しました。 ペリーは大統領の国書を渡し、開国と貿易を強く求めましたが、その威力に驚いた幕府は回答を1年後に先延ばしにするのが精一杯でした。
当時のパニックぶりを表す有名な狂歌があります。
「泰平の眠りを覚ます上喜撰(じょうきせん) たった四杯で夜も寝られず」
「上喜撰」とは高級なお茶のこと。カフェインが強く、4杯飲めば目が覚めてしまいます。 これを、煙を吐く「蒸気船(黒船)」とかけているのです。 「長く続いた平和(泰平)な世の中だったのに、たった4隻の蒸気船が来ただけで、怖くて夜も眠れない大騒ぎだ」
江戸っ子の見事なウィットと、幕府への強烈な皮肉が込められています。
記憶定着のポイント
黒船に乗ってアメリカからやってきたペリーが日本に開国をせまります。太平洋でのくじら漁の際に船の燃料の補給などに日本を使いたいと考えていました。幕府の方針である鎖国体制が揺らぐ大事件です。
開国を拒否したい幕府の気持ちになって「いやでござんす」と覚えましょう。
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2. 1858年 日米修好通商条約の締結
大老となった井伊直弼がアメリカと締結した条約です。
5港(横浜、神戸、新潟、函館、長崎 ※「よこにはな」と覚えるのがオススメ)を開港させられます。
また、治外法権を認め、関税自主権がないという不平等な内容でした。
天皇の許可が出ないまま条約締結をした井伊直弼や幕府に批判が集まりましたが、イギリスがかなり理不尽な理由でアヘン戦争、アロー戦争を起こし、清を侵略した事実を考えると圧倒的な軍事力を持つアメリカに戦争を仕掛けられて日本が植民地化される危険もありましたので、やむなく内容を飲んだとも考えられています。
その後、オランダ、ロシア、イギリス、フランスとも修好通商条約を結ぶことになり、これらの国々との貿易で国内経済が混乱します。
この出来事から「開国した幕府が悪い!」「天皇を尊重するべき!」という意見が高まり、尊王攘夷運動が活発化し倒幕の機運も高まっていくこととなりました。
ちなみに井伊直弼は朝廷に許可をもらおうと必死に動いていたそうです。しかしながら、許可を出してもらえないまま決断を迫られてしまいます。
この時の井伊直弼を想像すると、根回しの重要さ、外交の難しさ、一国を左右する重い責任など、いろいろと考えさせられます。つらかったでしょうね。
記憶定着のポイント
井伊直弼の気持ちになりましょう。不平等な条約を結ぶのは当然「嫌!」だったでしょう。しかしながら、アロー戦争で大国である清がイギリスにボコボコされて侵略されており、アメリカと戦争になり日本が亡ぶのはもっと「怖い!」という気持ちだったでしょう。
「嫌!」「怖い!」の板挟みになり、泣く泣く結んだ条約だったのです。
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3. 1866年 薩長同盟が成立
当時、薩摩藩と長州藩は「殺し合いをするほど」仲が悪かったです(禁門の変などで戦ったため)。 しかし、幕府の力は弱まっており、外国の脅威も迫っていました。 そこで登場したのが、坂本龍馬と中岡慎太郎です。 龍馬は京都で両者を会わせ、歴史的な取引をまとめました。
長州のメリット: 幕府の敵として孤立していたため、薩摩の名義を借りて最新の武器・軍艦を買えた。
薩摩のメリット: 長州から米(兵糧)をもらい、さらに「幕府を倒す仲間」を得た。
この秘密の同盟により、最強の「倒幕チーム」が誕生。 幕府軍が長州を攻めた戦い(第二次長州征討)で、薩摩藩は出兵を拒否し、幕府は大敗北を喫することになります。
記憶定着のポイント
犬猿の仲と言われた薩長が手を組むことなど、無理なことだと考えられていました。ところが坂本龍馬が仲介をすることで薩長同盟が結ばれることとなり倒幕への道が開かれました。大きな仕事を成し遂げた竜馬がドヤ顔しているところをイメージし、威張ろう、無(1866)理と言われた同盟仲立ち、で覚えましょう。
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4. 1867年 大政奉還/王政復古の大号令
15代将軍・徳川慶喜が、京都の二条城で、政権を朝廷に返した出来事が大政奉還です。
薩摩藩や長州藩が武力で幕府を倒そうとする動きを見せたため、戦争を避けるために先手を打って政権を返上しました。慶喜の中には、朝廷の下に武家による議会を作り、徳川家がそのリーダーになるという計算もありました。
しかし、その約2か月後、薩長派が主導して「王政復古の大号令」が出され、天皇中心の新政府の樹立と、「幕府」の廃止が宣言されました。 さらに慶喜は、辞官納地(役職と領地の返上)まで命じられて新政府から完全に排除されてしまい、260年続いた徳川の支配は終わりを迎えました。慶喜にとっては想定外の事態だったことでしょう。
その後、慶喜が排除されたことに怒った旧幕臣たちが戊辰戦争(1868年)を引き起こします。 戦争を避けるための大政奉還だったはずが、皮肉にも内乱につながってしまったのです。慶喜にとって、まさしく「一番むなしい」結果となってしまいました。
記憶定着のポイント
徳川慶喜は政権を返しても徳川家の力があれば新政府の中心になれると考えていました。しかし、王政復古の大号令により計画は崩れ去ります。260年続いた江戸幕府を終わらせ、新政府から締め出された慶喜はご先祖の家康に顔向けできない気持ちだったかもしれません。「一番むなしい」瞬間であったかもしれませんね。
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