1. 1868年 戊辰戦争
「王政復古」で将軍を辞めさせられた徳川側が怒り、京都の鳥羽・伏見で新政府軍と激突しました。これが戊辰戦争の始まりです。
新政府軍は、最新のアームストロング砲や、天皇の軍であることを示す「錦の御旗」を掲げて旧幕府軍を圧倒しました。 その後、戦場は江戸へ。江戸城への総攻撃直前、西郷隆盛と勝海舟の話し合いにより、戦わずに城を明け渡す「江戸城無血開城」が実現しました。
しかし、納得しない旧幕府軍の一部(新選組や会津藩など)は東北・北海道へ逃げて抵抗を続けました。最後は翌年、北海道の五稜郭で旧幕府軍が降伏し、約1年半にわたる戦争が終結。これにより、名実ともに明治新政府が日本を支配することになりました。
一方、敗れた旧幕府側の武士たちは「朝廷に弓引く賊軍(反乱軍)」とされ、処刑されたり、牢屋に入れられたりと厳しい処分を受けました。
ちなみに、五稜郭で最後まで戦って牢屋に入れられたリーダーの榎本武揚は、その才能を惜しまれてのちに釈放され、なんと明治政府の大臣になります。
日本が近代化をありえないスピードで進めることができたのは良いものを良いと評価してどんどん取り入れる柔軟さがあったから、と考えられますが、このエピソードからも柔軟さを感じることができますね。
記憶定着のポイント
「人は牢屋へ」は、旧幕府軍の結末です。みんな捉えられて投獄されてしまいました。勝てば官軍負ければ賊軍という言葉の通り、戊辰戦争に負けた旧幕府側の「人は牢屋(1868)」に入れられてしまいました。
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2. 1868年 五箇条の御誓文 発布(明治維新はじまる)
五箇条の御誓文は、戊辰戦争の最中、明治天皇が神々に誓うという形で発表した、明治新政府の基本方針です。
戦争中にあえて発表したのには、新しい政治の形を示すことで、まだ迷っている大名や藩を新政府側に引き込み、支持を集める狙いがあったとも考えられています。
内容としては、「広ク会議ヲ興シ 万機公論ニ決スベシ(広く会議を開いて、大事なことは話し合いで決めよう)」という民主的な政治を目指すことや、「知識ヲ世界ニ求メ(外国から進んだ文明を学ぼう)」といった近代化への決意が示されました。 これに基づき、日本はチョンマゲや帯刀などの古い習慣を捨て、西洋の文化を取り入れる「明治維新」という大改革へと突き進んでいきます。
※「五榜の掲示」との違い 五箇条の御誓文の翌日に出されたのが「五榜(ごぼう)の掲示」です。この2つの違いはテストの鉄板です。
五箇条の御誓文:
対象:公家や大名(リーダーたち)
内容:新しい国づくりの方針。「これから新しいことを頑張っていこう!みんなで協力して、ひとつやろうや!」という意気込みのようなもの。
五榜の掲示:
対象:国民(民衆)
内容:キリスト教の禁止や一揆の禁止など、江戸時代と変わらない古いルール。「あれはダメ!これを守れ!」という命令。
記憶定着のポイント
これから新しい政府がこんな風に素晴らしい政治を行うよ!とアピールしたのが五箇条の御誓文です。明治新政府の主要メンバーたちが、「みんなで協力して、明治維新!ひとつ、やろうや!」「えいえいおー!」とやっているイメージで覚えましょう。また、暗がりに五榜の掲示が立っているイメージもインプットしておきましょう。
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3. 1871年 廃藩置県
1869年の版籍奉還では、大名が「知藩事」に変わっただけで、実際にはそれぞれの藩が独自の軍隊や税金を持っていました。これでは強い国になれません。
そこで1871年、政府(木戸孝允・大久保利通ら)は、薩摩・長州などの軍隊(御親兵)をバックに、全国の知藩事を東京に集め、いきなり命令しました。
「今日で藩を廃止する! 君たちはクビだ! これからは政府が選んだ役人(県令)が県を治める!」 これが廃藩置県です。
抵抗が予想されましたが、政府が「藩の借金を肩代わりする」などの条件を出したため、大きな反乱もなく成功しました。 これにより、日本全国から税金が政府に入ることになり、中央集権国家が完成しました。
※「版籍奉還」との違い
1869年 版籍奉還:土地と人民を返させたが、元大名がそのまま「藩知事」として残った。(中身はあまり変わらなかった)
1871年 廃藩置県:元大名を完全にクビにして、県令を送り込んだ。(完全にシステムが変わった)
記憶定着のポイント
藩を廃して県を置く。読んで字のごとくですが、名前を変えただけでなく、元大名の藩知事をクビにして、中央から県令を送り込み、中央集権化したことがポイントになります。藩って言わない(1871)、これからは県で年号もばっちり抑えましょう!
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4. 1873年 地租改正
明治政府が近代化(富国強兵)の財源を確保するために行った、税金の仕組みの大改革です。 政府は、土地の所有権を認める「地券」を発行し、その所有者に、地価(土地の値段)の3%を現金で納めさせました。
江戸時代までは「収穫高(お米の量)」に応じて「お米」で納めていたため、不作の年は税収が不安定でした。しかし、この改革により、政府は豊作・不作に関係なく安定した予算を組めるようになりました。
一方で、税率は「江戸時代の年貢と同じくらい」に設定されたため、農民の負担は相変わらず重いものでした。 現金払いの苦労も重なり、各地で地租改正反対一揆が起きた結果、1877年に税率は2.5%に引き下げられました。
記憶定着のポイント
政府には定期的に一定の現金が入るため、税収の安定化が見込まれました。しかし、土地所有者は農作物を売って現金化した上で税を納めなくてはならなくなりました。米価が低迷すると、現金収入が少なくなるため納税の際不利になってしまいます。重税に苦しんだ農民たちによる一揆も起きました。まさに「嫌な3%」だったわけです。
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5. 1877年 西南戦争
明治政府の改革(廃刀令や秩禄処分)により、刀や給料といった特権を奪われた士族(元武士)たちの不満は頂点に達していました。 彼らは、征韓論(朝鮮への使節派遣問題)に敗れて政府を去り、鹿児島に帰っていた維新の英雄・西郷隆盛をリーダーに担ぎ上げ、1877年に日本最大の内乱(西南戦争)を起こします。
しかし、政府軍は徴兵令で集めた「農民主体の近代的な軍隊」を使ってこれを鎮圧。士族の武力は時代遅れとなり、西郷は敗れて自害しました。
この敗北により、「もはや武力で政府は倒せない」と悟った反対派の人々は、戦いの手段を「武力」から「言論(自由民権運動)」へと切り替えることになります。
記憶定着のポイント
政府を去り、故郷鹿児島で若者の教育に力を注いでいた西郷隆盛でしたが、特権階級を失ったことに士族たちが不満と明治政府が西郷を危険視しているという噂が彼を放っては起きませんでした。若者たちに担がれる形でリーダーとなった隆盛は最大にして最後の内乱と言われる西南戦争を起こします。自ら尽力して作り上げてきた明治政府に対して最後に歯向かい散っていきました。誰にとっても後味の悪い嫌な内乱だったことでしょう。
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6. 1889年 大日本帝国憲法制定
1889年2月11日(現在の建国記念の日)、伊藤博文らが君主の権力が強いドイツ(プロイセン)を参考に草案を作成し、明治天皇が国民に授ける形(欽定憲法)で発布されました。
当時、日本は欧米との不平等条約の改正を急いでおり、「日本は近代的な法律を持つ文明国だ」と世界に認めさせる必要があったからです。
特徴は、強い天皇主権です。天皇は国の元首として、軍隊を指揮する統帥権(とうすいけん)など絶大な権限を持ちました。 また、国民は「臣民(しんみん)」と呼ばれ、言論や信仰の自由などは認められましたが、それはあくまで「法律の範囲内」という条件付きでした。
それでも、この憲法により日本はアジアでいち早く立憲国家(憲法に従って政治を行う国)となり、翌年の国会開設への準備が整いました。
記憶定着のポイント
欧米諸国から憲法も定まっていない野蛮な国として甘く見られていました。不平等条約改正のためも対等な近代国家と認めてもらう条件である憲法を急いで作る必要がありました。「いち早く(1889)」列強入りを目指して制定されたのが大日本帝国憲法です。
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7. 1890年 第一回帝国議会
大日本帝国憲法に基づき、アジアで最初(※)の本格的な議会(帝国議会)が開かれました。 議会は、皇族や華族からなる「貴族院」と、選挙で選ばれた「衆議院」の二院制でした。
しかし、衆議院議員を選ぶ選挙権を持っていたのは、「満25歳以上の男子」で、かつ「直接国税15円以上」を納めているお金持ちだけでした。 その人数は国民全体のわずか約1.1%に過ぎませんでしたが、選挙の結果、政府に批判的な民党(みんとう)が過半数を獲得。「国民の負担を減らせ(民力休養)」と訴え、軍備を増やしたい政府と激しく対立しました。
限られた人達による選挙でしたが、日本は「話し合いで政治を行う近代国家」として、世界に向けて大きな飛躍を遂げたのです。
※アジア初の憲法と議会について
アジア最初の憲法に基づく議会政治は実はオスマン帝国(トルコ)の方が早かったのですが、すぐに停止されて専制政治に戻ってしまっています。比較的長く実質的に運営された本格的な議会としては日本がアジア初と言われています。
なお、高校世界史の内容でかつマイナーではあるんですが、興味と余裕があれば「ミドハト=パシャ」という人物を調べてみてください。努力と実力で地道に功績をあげ、トルコの近代化に大きな影響を与えた非常に有能な人物だったのですが、時代に翻弄されてしまいました。
記憶定着のポイント
第一回衆議院議員選挙を終え、帝国議会を実施しました。列強と肩を並べ、不平等条約を解消させるための大きな前進です。議会開設の立役者である伊藤博文が大ジャンプしているイメージで「飛躍を目指す、帝国議会」と覚えましょう。一方、選挙権は高額納税者の男性にしかありませんでした。エリート官僚ではなく、
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