1. 1894年 日清戦争
朝鮮半島で起きた甲午農民戦争をきっかけに、日本と清(中国)の間で戦争(日清戦争)が始まりました。
当時、清は「眠れる獅子」と呼ばれ、強大な力を持っていると思われていましたが、近代化を進めた日本軍が勝利しました。 翌年、下関条約が結ばれ、日本は台湾や遼東半島、多額の賠償金を獲得しました。(※この賠償金をもとに八幡製鉄所が作られ、日本の重工業が発展しました)。
この勝利により、日本はアジアの小国から、一躍、世界から注目される近代国家へと地位を高めました。
この1894年の「日清戦争」から、10年後に日露戦争(1904)、さらに10年後に第一次世界大戦(1914)と、大きな戦争が10年間隔で起こることを覚えておくと、歴史の流れが整理しやすくなります。
記憶定着のポイント
日本は清に勝ち、多額の賠償金とイラストの黄色く光っている部分、遼東半島と台湾を獲得します。眠れる獅子と列強からも一目置かれていた清にアジアの小国とみられていた日本が勝ったのはまさかの出来事でした。一躍、清を破った日清戦争と覚えましょう。
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2. 1902年 日英同盟
日清戦争の後、ロシアは南下政策を進め、満州や朝鮮半島への圧力を強めていました。
これに危機感を持った日本と、中国での利益を守りたいイギリスの利害が一致。1902年、日英同盟が結ばれました。
当時、イギリスは世界最強で、どこの国とも同盟を結ばない「光栄ある孤立」を誇っていましたが、それを捨ててまで日本を選んだことは世界を驚かせました。
この同盟には、「日本がロシアと戦っても、他の国(フランスなど)が手出しできないようにする」という重要な効果がありました。
最強のバックアップを得た日本は、2年後の対ロシア戦争へと踏み切っていきます。
記憶定着のポイント
共通の敵を持つイギリスを仲間にし、ロシアと対抗する準備が出来上がったのが日英同盟です。2人で大きな敵に立ち向かうイメージを持ってインプットしましょう。「行くわ!2人で!日英同盟」
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3. 1904年 日露戦争
ロシアが満州から兵を引かず、朝鮮半島にまで手を伸ばしてきたため、日本は開戦を決意しました。1904年、日露戦争が勃発。
陸軍は203高地などの激戦で多くの犠牲を出しながらも前進し、海軍は東郷平八郎率いる連合艦隊が、日本海海戦でバルチック艦隊を奇跡的に撃破しました。
しかし、日本の国力は限界でした。
そこで、アメリカ(セオドア・ルーズベルト大統領)に仲介を頼み、ポーツマス条約を結んで戦争を終わらせました。 日本全権の小村寿太郎は粘り強く交渉し、韓国での優越権や、南樺太(みなみからふと)、南満州鉄道の権利を獲得しましたが、賠償金は一切取れませんでした。
これに不満を持った国民により、日比谷焼打事件などの暴動が起きましたが、日本は列強(世界の強国)の仲間入りを果たしました。
記憶定着のポイント
日露戦争では東郷平八郎が日本海海戦でロシアのバルチック艦隊を破ったエピソードが有名です。列強を倒す時の気合をを込めて「行くわよ!」と覚えましょう。なお、日英同盟を組んでいましたがイギリスは中立を守るだけで一緒に戦ってはいません。さらに、重要なのは勝利したのに賠償金がなかった点です。しっかりとインプットしましょう。
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4. 1910年 韓国併合
日露戦争に勝利した日本は、ポーツマス条約で韓国に対する優越権(指導・監督する権利)をロシアに認めさせました。 これに基づき1905年、第二次日韓協約を結んで韓国の外交権を接収して保護国とし、統監府(とうかんふ)を置いて伊藤博文が初代統監になりました。
しかし1909年、その伊藤博文がハルビン駅で安重根(アンジュングン)に撃たれて亡くなる事件が起きます。この事件が、日本国内で「安定した統治のためには併合が必要だ」という声を強める決定打となり、日本政府は、併合へと進む方針を固めました。
翌1910年、日本は韓国を併合して完全に領土としました(韓国併合)。 支配の拠点として朝鮮総督府(ちょうせんそうとくふ)が置かれ、土地の所有権を明確にする土地調査事業などを行うとともに、以後35年間にわたる植民地統治が始まりました。
なお、当時の西欧列強諸国も植民地を持っていたため、日本が植民地を持ったことで「日本も列強(大国)と肩を並べた」と認められるようになりました。この国際的地位の向上が、翌1911年の関税自主権の回復(不平等条約改正の完了)を後押ししたと考えられています。
※ポイント:統監府と総督府の違い
統監府(1905〜): 外交を統括する機関(まだ国は残っている)。トップは文官でもOK(伊藤博文など)。
朝鮮総督府(1910〜): 朝鮮半島全土の軍事・行政・立法を行う強力な機関(国が消滅)。トップは現役の軍人に限られた。
記憶定着のポイント
韓国統監府の伊藤博文がハルビン駅で撃たれる事件が起きました。これを機に日本は韓国を併合して領土としました。事件を受けて、併合に進む、行くと決めた、という流れで覚えましょう。
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5. 1911年 関税自主権の回復
幕末に結ばれた不平等条約のうち、「治外法権」は1894年に陸奥宗光が撤廃していました。残るもう一つの課題、関税自主権(税率を自分で決める権利)の回復に取り組んだのが、外務大臣・小村寿太郎です。
日露戦争に勝利し、韓国併合を行って「列強(大国)」の仲間入りを果たしていた日本に対し、欧米諸国も「もう日本を無視できない」と認めるようになっていました。
この背景を武器に、1911年、小村はアメリカと交渉して関税自主権の回復に成功。
これにより、日本は自国の産業を守るための税設定が可能になり、名実ともに欧米と対等な完全独立国となりました。 ペリー来航から約半世紀、日本人の悲願がついに達成された瞬間でした。
※比較 領事裁判権の撤廃(1894) 陸奥宗光
記憶定着のポイント
明治初期は欧米列強から低い位置にいる国と甘く見られていましたが、実績を積み重ねて関税自主権を回復させることができました。ちなみに、成し遂げた外務大臣の小村寿太郎は小柄であらゆる方面に顔を出すのでネズミ公使とあだ名されていたそうです。これまで日本が欧米に軽んじられていたことと、小村寿太郎が小柄の2つの意味での「低い位置から」で年号をインプットしましょう。
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