1. 1914年 第一次世界大戦
1914年、バルカン半島のサラエボ事件をきっかけに、世界は「三国協商(英・仏・露)」と「三国同盟(独・奥・伊)」の2つのチームに分かれて戦争を始めました。
日本は、ヨーロッパの戦場にはほとんど行きませんでしたが、日英同盟を理由に「協商側(連合国)」として参戦。 中国にあるドイツの基地(青島・チンタオ)や、南洋諸島を攻撃して占領しました。
さらに翌1915年、欧米が戦争で忙しい隙を狙って、中国政府に二十一か条の要求を突きつけ、その大部分を強引に認めさせました。
この戦争の間、日本はヨーロッパに武器や物資を売って大儲けし、空前の好景気(大戦景気)を迎えました。
記憶定着のポイント
世界中が戦争に巻き込まれる中、日本が「戦場へ行く意思あります!」と宣言しながら参戦しようとしているイメージをしましょう。 ただし、向かう方向はヨーロッパではなく、アジアにあるドイツの領土を狙っています。 イギリスとの同盟を口実にして、日本の権益拡大を狙うことこそが戦場に行く意思でした。
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2. 1918年 米騒動
第一次世界大戦の好景気(インフレ)で物価が上がっていたところへ、政府がシベリア出兵を発表しました。
「戦争になれば米が売れる!」と考えた商人たちが米を買い占めたため、米の値段が急激に跳ね上がりました。
これに怒った富山県の主婦たちが、米屋に押し掛けて「米を安く売ってくれ」と訴えました。 このニュースが新聞で全国に広まると、北海道から九州まで、日本中で暴動(米騒動)が起きました。
政府は軍隊を出動させて鎮圧しましたが、国民の批判は収まらず、寺内正毅内閣は総辞職。 代わって、爵位を持たない衆議院議員の原敬が首相となり、日本初の本格的な政党内閣が誕生しました。
記憶定着のポイント
シベリア出兵で米が必要になると予見した商人による米の買い占めによって、お米の価格が跳ね上がります。高すぎて米が変えなくなりました。買い占め商人にブチギレた富山の主婦たちが米屋に押し寄せるという事件がおき、それが全国に広まったのが米騒動です。人、食いっぱぐれて米騒動という語呂合わせもぴったりですね。
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3. 1925年 普通選挙法の制定
大正デモクラシーの高まりで、国民は「俺たちにも投票させろ!」と激しい運動(普選運動)を行いました。これに応える形で、1925年、加藤高明内閣がついに普通選挙法を成立させました。
これにより、今まで「税金を3円以上」納めないと投票できなかったのが、「満25歳以上のすべての男子」であれば、貧乏でも学生でも投票できるようになりました。
しかし、政府は「貧しい人たちが選挙権を持って、共産主義(ロシア革命の影響)が広まったら困る」と恐れていました。
そこで、普通選挙法と引き換えに、社会主義者を取り締まるための法律、治安維持法も同時に成立させたのです。
これはまさに、選挙権という「アメ」と、取り締まりという「ムチ」の政策でした。
記憶定着のポイント
普通選挙法で税金の額による条件がなくなり、25歳以上のすべての男子に選挙権が与えられました。この時点では女性に選挙権がなかった点と治安維持法が同時に制定されたこともインプットしておきましょう。
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4. 1925年 治安維持法の制定
1925年、加藤高明内閣は普通選挙法で国民に選挙権を与えましたが、その一方で「労働者や貧しい人が政治に参加して、ロシアのような社会主義革命を起こしたら大変だ」と恐れていました。 そこで、選挙権と引き換えに制定したのが治安維持法です。
この法律は、「国体(天皇制)を変えようとする者」や「私有財産制度を否定する者(共産主義者)」を厳しく取り締まるためのものでした。
最初は社会主義者をターゲットにしていましたが、次第に政府に批判的な宗教家や自由主義者までもが逮捕されるようになり、戦争中の言論弾圧の根拠として使われることになります。
記憶定着のポイント
ロシアでおきた社会主義革命が日本で起こることを防ぐために治安維持法は制定されました。後に社会主義とは関係なく政府に批判的な人々や戦争反対を訴える人を弾圧するものとなりました。弾圧されるイメージに合わせてひどく不幸という語呂で覚えましょう。
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