1. 1989年 マルタ会談(冷戦終結)
第二次世界大戦後、40年以上も続いてきたアメリカ(資本主義)とソ連(社会主義)の対立=「冷戦」がついに終わりを迎えました。きっかけは、この年の11月にドイツでベルリンの壁が崩壊したことでした。
その翌月、地中海のマルタ島に停泊した船の上で、アメリカのブッシュ大統領と、ソ連のゴルバチョフ書記長が会談し、これからの世界をどう運営していくかという「新しい協力のルール(いくばくかの方針)」が話し合われて決まりました。
二人は「もう敵対するのはやめよう」と合意し、公式に冷戦の終結を宣言。世界は「対立」から「協調」へと大きく舵を切りました。
※同年の出来事(時代の変わり目): 日本では昭和天皇が崩御され「平成」に改元(1月)、消費税(3%)の導入(4月)など、国内外で大きな変化があった年です。
記憶定着のポイント
ブッシュ大統領とゴルバチョフ書記長の船上の会談でした。これからの世界をどう運営するか、いくつかの方針を決定するための話し合いです。語呂の通り、マルタ会議でいくばくかの方針が決まり冷戦が終わったと覚えましょう。
記憶定着のためには、聞くことも効果的!Youtube動画もぜひご覧くださいね!
2. 1991年 湾岸戦争
中東のイラクが、隣国のクウェートに侵攻したことに対し、国連は制裁を決議。アメリカを中心とする多国籍軍が派遣され、イラクを攻撃してクウェートを解放しました。
この時、日本は平和憲法(第9条)の制約があり、自衛隊(人)を派遣できず、その代わりに巨額の支援金(約1兆円以上)を出しました。 しかし、国際社会からは「金だけ出して汗を流さない(人的貢献がない)」と批判され、感謝もされませんでした。
この「ひどく悔い」が残る経験から、日本政府は方針を転換し、翌1992年にPKO協力法を成立させ、自衛隊を海外派遣するようになりました。
※同年の出来事: この年の年末にソ連が解体(崩壊)し、ロシア連邦などが誕生しました。冷戦構造が完全に消滅した年でもあります。
記憶定着のポイント
イラクのクウェート侵攻を認めないとして、アメリカ主導の多国籍軍が出動し、イラク軍をクウェートから撤退させたのが湾岸戦争です。日本は多額の経済支援を行いましたが、人的支援がないことを国際社会から批判されました。 「お金を山ほど出したのに、『君は戦わないのか?』と白い目で見られて悔し泣きしている日本」を想像してください。 この悔しさが翌年のPKO協力法に繋がります。
記憶定着のためには、聞くことも効果的!Youtube動画もぜひご覧くださいね!
3. 1992年 PKO協力法
前年の湾岸戦争(1991)で、「日本はお金しか出さない」と国際社会から批判された反省(悔い)を活かし、制定された法律です。
これにより、自衛隊が国連の平和維持活動(PKO)に参加するために、海外へ派遣できるようになりました。紛争が終わった地域の復興や選挙の監視などが主な任務です。
法律ができてすぐ、カンボジアへ自衛隊が派遣され、道路や橋の修理などで活躍しました。
※同年の出来事: 宇宙飛行士、毛利衛さんが日本人として初めてスペースシャトルでの宇宙実験を行う、バルセロナ五輪で岩崎恭子が金メダルを獲得、学校週5日制スタート(第二土曜日が休みに。)
記憶定着のポイント
語呂合わせの通り、自衛隊員が「遠く、国(日本)を離れて」海外へ旅立つ姿をイメージしてください。「1991年(悔い)でお金を出してダメだったから、1992年(国離れて)は人(自衛隊)を出した」という流れで覚えると完璧です。 最初の行き先はカンボジア! これもセットで覚えましょう。
記憶定着のためには、聞くことも効果的!Youtube動画もぜひご覧くださいね!
4. 1993年 EU発足
第二次世界大戦後、ヨーロッパの国々は「もう戦争はしない、協力して経済を発展させよう」とEC(ヨーロッパ共同体)を作っていました。 冷戦が終わった後、さらに結びつきを強めるため、マーストリヒト条約に基づいて、1993年にEU(ヨーロッパ連合)を発足させました。
これにより、経済だけでなく政治や外交も「ひとくくり(統合)」にして行動するようになり、やがて共通通貨ユーロも導入されました。 パスポートなしで国境を行き来できるようになったのも、この大きな統合のおかげです。
【進化の順番】
EC(共同体・経済メイン) → EU(連合・政治も含む最強のチーム)
この進化のきっかけが「マーストリヒト条約」
※同年の出来事: 細川護熙内閣の成立(「55年体制」の崩壊)、日本初の世界遺産登録(法隆寺(奈良)、姫路城(兵庫)、屋久島(鹿児島)、白神山地(青森・秋田)の4つ)、Jリーグ開幕、平成の米騒動(冷夏)で急遽タイ米を輸入
記憶定着のポイント
ヨーロッパの経済統合を目指すECが共通外交、安全保障や共通通貨を持つEUに発展しました。語呂合わせのひとくくりされるヨーロッパのイメージで、大きなリボンでギュッと一つに束ねられる様子を思い浮かべてください。
記憶定着のためには、聞くことも効果的!Youtube動画もぜひご覧くださいね!
5. 1995年 阪神淡路大震災
1995年1月17日の早朝、兵庫県の神戸市や淡路島を中心とする地域を、マグニチュード7.3の巨大な地震が襲いました(阪神・淡路大震災)。
都市の直下で起きた地震のため被害は甚大で、高速道路の倒壊や、木造住宅の倒壊による火災が相次ぎ、6,434人が犠牲となりました。
この時、全国から100万人を超える人々が、リュックを背負って被災地へ「救護(手助け)」に駆けつけました。 この動きから、1995年は日本の「ボランティア元年」と呼ばれています。また、これをきっかけにNPO法(特定非営利活動促進法)ができるなど、社会の仕組みも変わりました。
※同年の出来事: 地下鉄サリン事件
※3つの大震災それぞれのキーワード
1923年 関東大震災:火災、デマ
1995年 阪神淡路大震災:倒壊、ボランティア
2011年 東日本大震災:津波・原子力発電所
記憶定着のポイント
1995年1月17日の早朝に起きました。語呂合わせの「行く救護」から、リュックを背負って被災地へ行くボランティアの人々をイメージしてください。ボランティア元年と言われています。また、日本の防災対策の大きな転換点をもたらした大きな意味を持つ災害です。
記憶定着のためには、聞くことも効果的!Youtube動画もぜひご覧くださいね!
6. 1997年 京都議定書が採択される
深刻化する地球温暖化を食い止めるため、国連の会議(COP3)が日本の京都で開かれました。 ここで採択されたのが京都議定書です。 これは、歴史上初めて、先進国に対して温室効果ガス(主に二酸化炭素)を減らす具体的な数値目標(削減義務)を定めた約束でした。
日本も「マイナス6%」という決して「低くない」厳しい目標を背負い、省エネ活動などが活発になりました。
(※現在は、発展途上国を含む全ての国が参加する「パリ協定(2015年)」に引き継がれています。)
記憶定着のポイント
世界中の代表が京都に集まり環境問題について話し合いました。温室効果ガスの削減について、先進国のみに低くない目標が課せられました。アメリカが後に脱退したり、途上国の義務付けがなかったりと課題が残るものでした。しかしながら、環境問題について初めて世界的な約束があったことは評価されるべきことです。
記憶定着のためには、聞くことも効果的!Youtube動画もぜひご覧くださいね!
7. 2001年 アメリカ同時多発テロ
2001年9月11日、アメリカで4機の旅客機がイスラム過激派グループ「アルカイダ」によってハイジャックされました。 飛行機はニューヨークの世界貿易センタービル(ツインタワー)や、国防総省(ペンタゴン)に激突し、日本人を含む約3000人もの犠牲者が出る大惨事となりました。 これに対しアメリカは「テロとの戦い」を宣言。 テロ組織をかくまっているとして、アフガニスタン(当時のタリバン政権)への軍事攻撃を開始しました。
※ポイント
テロ直後にアメリカが攻め込んだのはアフガニスタンです。
2003年のイラク戦争(大量破壊兵器のある疑いで攻撃)がごちゃごちゃになりやすいので注意。
※同年の出来事:小泉政権発足、マリナーズのイチロー選手がMVPと新人王を受賞
記憶定着のポイント
2001年9月11日、アメリカで4機の旅客機がハイジャックされ、世界貿易センタービルやアメリカ国防省に激突し3000人もの犠牲者が出た大事件です。アメリカは「テロとの戦い」を宣言し、テロ組織をかくまっているとしてアフガニスタンに報復攻撃を実施しました。
記憶定着のためには、聞くことも効果的!Youtube動画もぜひご覧くださいね!
8. 2003年 イラク戦争が始まる
アメリカは「イラクのフセイン大統領が、世界の不和(平和を乱す原因)となる大量破壊兵器を隠し持っている」と疑い、国連の許可なしで攻撃を開始しました。 フセイン政権は倒されましたが、アメリカ軍が国中をいくら探しても、結局、兵器は見つかりませんでした。 このため、「大義なき戦争」として世界中で批判や議論が起きました。
日本は復興支援のため、自衛隊をイラクのサマワへ派遣しました。
【湾岸戦争との違い】
1991 湾岸:イラクが隣国を侵略 → 国連OK → イラク負ける(フセイン残る)
2003 イラク:イラクに兵器疑惑 → 国連NG(でも攻撃) → フセイン倒れる → 兵器なし
記憶定着のポイント
アメリカ軍が砂漠の中で何かを探している姿を想像してください。大量破壊兵器という世界の平和を脅かす不和を探しているのですが、結局なかったというのがこの戦争のオチでした。大儀なき戦争をおこなったとしてアメリカは大きな批判をうけました。
記憶定着のためには、聞くことも効果的!Youtube動画もぜひご覧くださいね!
9. 2008年 世界金融危機
アメリカの投資銀行リーマン・ブラザーズが、巨額の負債を抱えて倒産しました(リーマン・ショック)。 原因は、アメリカで流行していたサブプライム・ローン(低所得者向けの住宅ローン)の仕組みが破綻したことでした。
アメリカ経済という巨大な風船が弾けた衝撃は、すぐに世界中へ広がり、株価が大暴落する世界金融危機となりました。
日本も巻き込まれ、輸出産業(トヨタなど)が大赤字になったり、「派遣切り」などの雇用問題が深刻化したりしました。
※ポイント
サブプライム・ローンとは、本来は高額なローンを組めない低所得者層に対し、高い金利でお金を貸す仕組みです。 景気が良い時は回っていましたが、不景気になりローンの支払いができない人が続出。銀行は貸した大量のお金が回収できなくなり、連鎖的に倒産する事態になりました。
(映画『マネー・ショート』はこの裏側を描いた名作で、金融危機が起きた理由やその仕組みがよく分かります。面白いですし、オススメです!)
記憶定着のポイント
語呂合わせの「触れれば(2008)はじける」から、無理なローンでパンパンに膨らんだ「アメリカ経済の風船」をイメージしてください。 それが弾けた衝撃で、日本の工場(派遣切り)までドミノ倒しのようにやってきたとイメージしましょう。
記憶定着のためには、聞くことも効果的!Youtube動画もぜひご覧くださいね!
10. 2011年 東日本大震災
2011年3月11日、日本における観測史上最大の地震と巨大津波、そして福島第一原発事故という困難が日本を襲いました。
しかし、この未曾有の危機に対し、日本中・世界中から支援が届き、被災地では互いに助け合う人々の姿がありました。
「絆」を合言葉に、ボランティア活動や計画停電への協力、アメリカ軍のトモダチ作戦など、人々が団結して復興へ歩み出した年として記憶されています。
記憶定着のポイント
2011年3月11日午後に発生した大震災です。絆をスローガンに復興支援が行われました。国内外からの支援という優しさに触れて人々が団結し、困難に立ち向かったと記憶しましょう。
記憶定着のためには、聞くことも効果的!Youtube動画もぜひご覧くださいね!